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世界貿易センタービル跡地「グラウンド・ゼロ」

世界貿易センタービル跡地「グラウンド・ゼロ」_b0188828_14201783.jpg米国は11日、2001年の9.11同時多発テロ事件から8周年を迎え、現場となったニューヨークの世界貿易センタービル跡地「グラウンド・ゼロ(Ground Zero)」で行われた追悼式典では、バグパイプやドラムが鳴り響いた。

小雨が降るなかで営まれた式典には、遺族のほか、ジョゼフ・バイデン副大統領やマイケル・ブルームバーグ市長、警察官、消防隊員、兵士、政府関係者らが参列した。

乗っ取られた2機の民間航空機が、貿易センタービルの2棟に激突したテロ事件では、2752人が犠牲となった。ブルームバーグ市長は、崩れ落ちるビルのなかで救出活動を続け命を落とした市民や343人の消防隊員を、「彼らの慈悲精神や無私の行為は、ニューヨークの歴史に永遠に刻まれる」と悼んだ。

毎年、テレビ中継される追悼式典では、すべての犠牲者の氏名が読み上げられ、航空機が突っ込みビルが崩壊した時刻に合わせて、黙とうがささげられる。夜間には、2つの高層棟がそびえ立っていた地上から、空に向かって2本の光が照射される。


先週の日曜日にちょっと時間を取って、WTCの跡地グラウンド・ゼロを見てきました。この事件があったときはもうニューヨークを離れて、マサチューセッツに住んでいたけど、それ以前10年位すんでいました。でも世界貿易センタービル跡地「グラウンド・ゼロ」_b0188828_14532045.jpgWTCのあるローワーマンハッタンは金融証券街ですから、普通の人には縁遠い場所で、一度もいったことがなかったです。でも長いことアメリカに住んでいながら、一度も行っていないという負債があり、今度9.11の前に立ち寄ってきました。

昔は空高くそびえたビルがあるべきところには、廃墟スペースと未だに跡地の地盤整備作業がする姿が見えるだけでした。でも跡地の周囲には50、60階建ての高層ビルが林立しており、不謹慎ながらよくこんなスペースのない所に立つ世界貿易センタービルだけに飛行機をぶつけたもんだと吃驚しました。極めて用意周到に練られたプランであり、その襲撃目的の為に高度に訓練されたテロだったと改めて感じました。

グラウンド・ゼロの直ぐ前にある消防署         観光客と一緒に写真を撮っていた消防隊員
世界貿易センタービル跡地「グラウンド・ゼロ」_b0188828_1541553.jpg世界貿易センタービル跡地「グラウンド・ゼロ」_b0188828_1543850.jpg
世界貿易センタービル跡地「グラウンド・ゼロ」_b0188828_15101819.jpg消防署の前には、多くのカメラをぶら下げた観光客が集まり、フェンスで囲まれているグラウンド・ゼロや消防署をカメラに収めていた人で溢れていました。消防署内にも、この事故で亡くなった5人の顔写真と氏名が告知板に貼ってありました。写真の彼もその時の生き残りかも。消防署の脇にも、この事故で亡くなった343人の消防隊員の顔写真の傍に、遺族からかも知れない花束がひっそりと置かれていました。普段の観光地でよく見る人々の笑顔はそこになく、8年経った今でも沈痛な雰囲気を漂わせていました。


世界貿易センタービル跡地「グラウンド・ゼロ」_b0188828_15295226.jpg消防署の隣には、9.11同時多発テロ事件を記して建てられた記念館「Tribute WTC Visitor Center 」がありました。今回は時間がなくて中を見物できませんでしたが、事故の模様の写真パネルや遺族から寄せられた1200枚以上の写真が展示されているみたいです。

WTCの焼け残った鉄骨で建造された
USS New York、この秋11月就航
というポスター
世界貿易センタービル跡地「グラウンド・ゼロ」_b0188828_15341649.jpgこの9.11以降、アメリカのテロに対する国家姿勢が軍事力による全面対決.完全撲滅へと大きく傾斜しました。しかしながら、事態はアメリカの思惑どうりにならず、アフガニスタン、イラクにおける反米テロ、対ゲリラ活動など世界的に波紋を広げ、ベトナムの二の舞い化、叩いても叩いても、ゾンビのように起き上がってくるテロ活動が世界的に起こるモグラ叩き現象に化しています。イスラム教とアメリカの争いは歴史を遡れば十字軍まで至るし、近年はアメリカのオイル支配という経済的問題も絡んで、もうこんがらって滅茶苦茶になっていて、ちょっとのことでは修復不能。

非常に楽観的ですが、世界じゅうに広がった個人から始まり国家に到るまでの恨みの連鎖を解く方法は、やはり「恩讐を愛する」という行為でしか道がないですね。「The Power of Love」の威力を一人の女性の人を通して学ばせてもらいました。今では、血は繋がってはいないけど、家族以上の強い絆で結ばれています。それ以上の収穫は、女性は身の回りの小さな事が大好きと言う事。これは人生50年近く生きてきて全く分からなかった世界でした。全く青天の霹靂でした。
by nhajime3 | 2009-09-13 09:30 | 社会情勢
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