カテゴリ:歴史( 2 )

退役軍人の日

今日はベテランズ・デー、軍役を終えた退役軍人に感謝を捧げる日です。アメリカの公式な祝日ですけど、祝日といいながらほとんどの会社は平常通り働いています。5月に同じような祝日、メモリアルデー(戦没将兵追悼記念日)がありますけど、あれは亡くなった人に敬意を捧げる日ですけど、こちらの方は未だに生存してる退役軍人に敬意を捧げる日です。

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ニューヨークの5番街で毎年11月11日に開かれるAmerica’s Paradeを行進してる参加者の群れ。
(写真提供:BREAKING NEWS FROM NPR)


アメリカ軍は志願制を取っているから、志願者を募るために様々な福利厚生を提供しています。その内訳はには障害補償、年金、教育、住宅ローン、職業リハビリテーション、遺族給付、医療給付および埋葬給付が含まれてます。ただ実際に戦地に赴いて、負傷したり、PTSD(心的外傷後ストレス障害)やその他の精神病など心の病を負って退役する人がいます。その人達を治療するために、VA(アメリカ合衆国退役軍人省)が運営する数百の病院、診療所などがあるますけど、増え続ける患者を充分な治療をあたえられないというのが現実です。2014年に、アメリカ退役軍人省の病院で、長期間診察待ちで患者が死亡というスキャンダルがありました。l また、そこまでいかなくても、戦争の後遺症により、職業・社会生活が不可能になり障害者年金で生活する人、職業・社会生活に重大な不利益があり障害者手当を受給する人など、ホームレスやシェルターで暮らす人など結構います。

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軍事偵察用ロボット蚊
(狙撃対象テロリストの皮膚からDNAを検出して、ターゲットIDの確認をする)

トランプ次期大統領が在韓、在日米軍撤退を考慮に入れてる要因の一つとして、この人的、経済的損失が膨大なのと、嘗てのケネディー大統領の時代と比べて、世界の為に喜んで犠牲になるキリスト教をバックグランドにしていた国民的性質が内向きになっているのが大きいと思います。その解決策として、アメリカ軍の無人ロボッカ化を大きく推進してるのでしょう。

b0188828_12284768.jpgアメリカは蚊の特性を軍事用に利用してますけど、日本では人命救助目的で、
蚊の嗅覚を利用した「においセンサー」を搭載した移動型小型ロボットを開発してます。
人のにおい感じるロボット 蚊の嗅覚を利用 東大などのチーム開発
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by nhajime3 | 2016-11-12 09:25 | 歴史 | Comments(0)

フレンチ・インディアン戦争

最近は何かアメリカ旅行ガイドブックみたいなブログになってます。何時もニューヨークに遊びに行く時、道端に見える古ぼけた2門の砲台、なんかの古戦場の跡地だろうと横目で見ながら見てたんですが、思い切って寄り道してみてみたらフレンチ・インディアン戦争で亡くなった人の記念碑でした。この前、行った町の中にも町の人が戦争で犠牲になった人の名前を彫った碑がありました。フレンチ・インディアン戦争、南北戦争、第一次世界大戦で亡くなった町の住民の名前が彫ってあります。
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フレンチ・インディアン戦争(英:French and Indian War, 1755年 - 1763年)は、欧州の七年戦争(1756年 - 1763年)に呼応して英仏間で争われた北米大陸での植民地戦争。インディアンと同盟を結んだフランス軍を相手にイギリス人が戦ったところからこの呼称がある。オハイオ川の支配をめぐっておきた。この戦争の結果、第2次百年戦争と呼ばれた英仏間の植民地獲得競争においてイギリスの優位がほぼ固まり、敗れたフランスは1763年のパリ条約の結果、北米大陸からほぼ全面的に撤退することとなった。

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農地を西方に広げようとするイギリス勢力と、毛皮の交易路を拡大しようとするフランス勢力(フランス領カナダ、ヌーベルフランス)がオハイオ川流域で衝突した。1754年夏にフランス勢力とヴァージニア民兵隊の間で小競り合いがはじまり、1755年6月北米沖で英艦隊が仏艦隊を拿捕したことにより決定的な争いとなった。同年7月オハイオ川流域のデュケーヌ砦(デュケイン砦、現在のピッツバーグ)を目指すブラドック将軍率いる英軍が待ち伏せたフランス軍とインディアンの連合軍によって壊滅させられた。


1763年2月10日に調印されたパリ条約でフランスはカナダを、スペインはフロリダを正式にイギリスに割譲し、また、フランスは仏領ルイジアナのうちミシシッピ川以西を同盟国スペインの労に報いるため割譲、さらに同川以東のルイジアナは戦勝国イギリスに割譲した。ここに北米大陸におけるフランスの植民地支配は終わりを告げた。

なお、パリ条約締結後、カナダ東部のアカディア地方を追われたフランス系住民にはニューオーリンズ一帯に移住した者が多く、独自のケイジャン文化を育てた。また、カナダに隣接するメイン州(1820年にマサチューセッツ州より分離)北部のセント・ジョン渓谷に移り住んだ者もいた。こののちカナダはイギリス領となったものの、そこにすむフランス系カナダ人は、民族的自覚を発展させ、イギリス帝国の支配に対する抵抗は続いた。

英領アメリカ13植民地(以下「13植民地」)の人々は国王宣言線(上述)に激しく反発した。さらに、この戦争の戦費を植民地人に負担させるため、英本国政府は13植民地に対し、砂糖法を施行し(1764年)、さらに印紙法を施行しようとした(1765年)。このため、英本国と13植民地との間には深刻な対立感情が生まれた。

b0188828_10575557.jpg北米大陸におけるフランス人勢力が一掃されたことによって、イギリス領の植民地が本国からの安全保障を必要としなくなってしまった。それが直後のアメリカ独立戦争を促した側面がある。イギリスは、13植民地を安全にしたがために、かえってそこを失ってしまうという皮肉な結果をもたらした。
ルイ15世統治晩年のフランスでは、オーストリア継承戦争からこの戦争および七年戦争の戦費と、ヴェルサイユ宮殿での豪奢な生活などによって財政事情がきわめて悪化した。ルイ16世の時代に入るとさらにアメリカ独立戦争支援のための出費もあったが、イギリスにくらべフランスは慢性的に戦費調達能力が低かったうえに、この間フランスは新領土を獲得していないため財政赤字は累積した。そして、こうした逼迫した財政状況を打開するため新税を導入しようとして全国三部会が招集したことがフランス革命勃発のきっかけとなっている。
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by nhajime3 | 2010-06-07 10:49 | 歴史 | Comments(0)